日本に生まれた悲劇!海外生活に憧れ続けた20年。

日本に生まれた悲劇!海外生活に憧れ続けた20年。

みなさん初めまして!13ヶ月のオーストラリア生活を終え、どっぷりとOZ(オーストラリア)の魅力にはまってしまったNです。
今回、このサイト「ぱんぺき!」を運営しているあやぱんさんとのご縁があり、こちらでブログを連載させていただくことになりました!

これから、

・大学を休学し、海外生活を通して感じた日本とオーストラリアの違い
・ワーキングホリデーでOZ(オーストラリア)ライフ
 〜ワーキングホリデーの基礎
 〜オーストラリア熱帯雨林の山奥からニート生活編
・オーストラリアの魅力
・海外生活以外にも海外旅行好きなNの旅日記

などなど、面白くて、びっくりするお話、そしてきっとためにもなる?お話をしていきたいと思います!

まず初回は私の簡単な経歴について書かせていただきます!

生まれてから22年間パスポートを更新し続ける。

私は1994年石川県生まれ。

私の初めてのパスポートはまだ母のお腹にいる頃で、このときから今まで22年間、両親の仕事、旅行、留学など、毎年海外に行く予定があったので、パスポートの期限を切らせたことはありません。

しかし、幼少時の海外旅行の記憶なんて少しも残っていません。それはとても残念ですが、このように海外に触れる機会が多かったことが私に強く影響したことは間違いないと思っています。

小学校入学と同時にアメリカのティーン小説にはまる。

小学校へ入学すると、文字が読めるようになったのと、週に何回かあった図書の時間で本を読む機会が増えました。その時に、カリフォルニアガールの生活を描いたシリーズ物の小説にドハマリ。

そこで小学校1年生の私は「日本人として生まれたことが私の人生の最大の悲劇だ」と悟りました。

少々、過激に聞こえるかもしれませんが、この時から私の中で海外という場所はそれくらい憧れの場所だったのです。その頃から、海外ドラマや海外のファッション雑誌なんかにも夢中になっていたのを覚えています。

将来の夢は画家

小学校3年生の時のことです。母と2人でフランスへ行く機会がありました。そこで私が訪れた場所、そこは有名なフランス映画「アメリ」の舞台ともなったモンマルトルの丘です。

まさしくパリらしいお洒落なアパルトマンが建ち並び、その1階には小さなカフェが入っていて、そんなお洒落なカフェにずらりと囲まれた石畳の広場には、数十人たちもの画家たちがキャンパスを広げ、絵を描いているのです。

私はその光景に目を奪われ、心のそこからわくわくした気持ちがこみ上げてきました。

その瞬間、私は、将来は画家になる。と決意。

帰国後、すぐに美大予備校で絵画を習うことにしました。

当時、何も習い事などしていなかったので、母にわがままを言って、通わせてもらいました。

その後は、作品で賞を頂くこともありましたし、作品展への出展などもさせていただいて、とても良い経験でした。そしてさらに、その翌年、小学校4年生時、2度目のフランスを訪れる機会に恵まれました。

しかし、中学校入学と同時に予備校も辞めてしまい、絵を描く機会も減ってしまい、いつの間にか画家になるという夢はどこかへ……

画家になるという夢はどこかへ行ってしまいましたが、それでも海外の熱は一向に冷めませんでした。

ハリウッドを目指して。

小学校5年生の夏休み直前、私はなぜだか全く記憶にないのですが、どこからかカリフォルニアのサマースクールプログラムのチラシを持って帰宅。

どうしても1ヶ月アメリカでのホームステイをしたいと母に懇願。

小学生時代の私は家でゴロゴロしているだけだったので、母もそれを見兼ねてなのかすんなりOKしてくれました。

前述しましたとおり、カリフォルニアは私の憧れ!きっとビバリーヒルズの学校へ行って、土日はハリウッドで買い物してと勝手に夢を膨らませていた私でしたが、実際に滞在することになったのは、カリフォルニアNo. 1の酪農農家。

私の期待とは裏腹に牛たちと過ごす時間が長かったので、うそーん。と一時ショック受けていましたが、とても良いファミリーと、素敵な時間を過ごすことができました。

休みの日は、ブロンド美人のホストシスターや学校の友達がハリウッドの街に連れ出してくれたり、ビバリーヒルズのパーティーに招待してくれたり、結局程よく、私の夢も叶いました。

ちなみにこの頃の英語力は、英検4級。

少しも英語話せませんでした。どうやって周りとコミュニケーション取っていたのかは謎です。

しかし、ここから1つ言えることは、英語が全く分からない、文化が全く違う状況でも、私はその刺激を楽しんでいたことです。

やはり、私は海外という場所にたまらなく面白さを感じている!と改めて実感した1ヶ月でしたし、必ず将来は、長期で海外に留学したい!と決意した時でもありました。

オーストラリアでワーキングホリデー

さてさて、ずいぶん海外と触れあった小学校生活でしたが、中学、高校時代は特に面白い出来事もなく過ごした、人生の閑散期でした。

それでも海外旅行に行く機会は何度かあり、高校を卒業するまでに、11カ国18都市を訪れました。 

(ここで先に申し上げておきますが、こんなに海外旅行してNってお金持ち!と思ったあなた。私は金持ちでも何でもなりません。ごく普通の平凡すぎるほどの一般家庭に生まれた娘です。そんな私でも、海外を頻繁に旅できるコツを、別記事で改めてご紹介しますので、お楽しみに!)

高校を卒業しても、もちろん海外への熱は冷めることなく、この頃には完全に洋画、海外ドラマしか見なくなり、邦画や日本の流行のドラマも一切見なくなりました。

私に日本の芸能人の名前を聞いてもおそらくほとんど分からないと思います(笑)

そして大学進学の際「自宅から通える大学へ入るから留学させてほしい」と両親に頼み、その言葉通り、大学3年の夏、ついに海外へ行くため、大学を休学!

しかし、やはり自分で大学を休学し、留学するとなるとかなりのお金がかかります。見積もりを見て、渋い顔をする両親。

なぜ、大学の交換留学を利用しなかったのか。それは私の成績が悪かったから!です。

それでも、海外への夢を諦められなかった私が思いついたのはワーキングホリデー制度。

この制度を使えば、現地で働きお金を稼ぎながら学べる。一石二鳥すぎる!と思った私は、速攻で準備を進め渡航。

ちなみにこのとき貯金20万円以下。英語力TOEIC320点。

ワーキングホリデーについてのあれこれはまた、別の回に詳しくお話しさせていただこうと思いますが、かなり余裕のないスタートでした。

長期留学すると決めた時、正直アメリカにもう一度行きたいと思っていました。

しかし、金銭的な面から断念し、なんとなく日本からも近く、ワーホリの制度があるからとオーストラリアを選択。しかし、私はここで、人生をひっくり返されるほどの経験をし、今までの価値観が180度変わるのです。

今ではすっかりオーストラリアの虜です!

そんなわたしの体験談をこれから少しずつ発信できたらいいなと思います!!

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初めまして!Nです! 海外での生活に憧れて、はや15年です。
計20回以上の海外渡航と1年間のワーキングホリデーを通し、完全に海外での暮らしに魅せられ、日本に意識が戻ってこれない大学生です。多く旅をし、出来るだけ異文化と自然に触れ合う生活をできるように常に意識しています。
現在は、完全海外移住を目指しています。よろしくお願いします!

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